36押上界隈の歴史あれこれ

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36.牛嶋神社


 今回は、お隣の町会の氏神様である「牛嶋神社」を紹介します。
牛嶋神社(写真1)の御祭神三柱は
須佐之男命(すさのおのみこと 注1)
天之穂日命(あめのほひのみこと 注2)
貞辰親王命(さだときしんのうのみこと 注3

CENTER:写真1<strong> 牛島神社 </strong>

 神社の縁起によると、貞観二年(860)、慈覚大師円仁(注4)がこの地の庵で、「須佐之男命をこの地の郷土守護神とするよう」ご神託を得て牛島の地に神社を建立、後に天之穂日命をまつり、ついで貞辰親王命(注3)をお祀りし「王子権現」と称しました。
 治承4年(1180)源頼朝が大軍を率いて当地に赴き、豪雨による洪水に悩まされた時、武将千葉常胤(ちばつねたね)が祈願し、全軍が無事に川を渡ることが出来たことから、頼朝は神徳を尊信し、社殿を建立すると共に、多くの神領を寄進しました。
 天文7年(1538)後奈良院より「牛の御前社」の勅号を賜ったと言われています。
 江戸時代には鬼門をお守りする社として将軍家の尊崇厚く、3代将軍家光は祭礼神輿渡 御の御旅所(たびしょ)、現在の本所2丁目のお仮宮(かりや)の土地を寄進しました。
 隅田川に沿う旧本所一帯の土地を「牛島」と呼ばれていたことから、本所総鎮守として明治初年からは「牛嶋神社」と称するようになりました。
 関東大震災までは、500mほど北にある弘福寺裏に隣接した地にありました(この地に旧址の石碑が設置されている)。震災によりお社が焼失、墨堤の拡幅もあり、昭和7年(1932)現在地に遷座しました。
 神社には、弘化2年(1845)に奉納された葛飾北斎作の大絵馬「須佐之男命厄神退 治之図」がありましたが、関東大震災により焼失しました。

 現在は原寸大の復元パネル(写真2)が社殿内に掲げられています。絵は、命(みこと)が悪病をもたらす厄神に悪事を働かない様、証文を書かせている場面です。平成28年(2016)に色彩の推定復元された絵が、すみだ北斎美術館に展示されています。(説明板より)

CENTER:写真2 <strong>命(みこと)が悪病をもたらす厄神に悪事を働かない様、証文を書かせている場面 </strong>

 

 社殿前に「三つ鳥居」(写真3)と呼ばれる大変珍しい鳥居があります。これはご祭神が三柱であることに由来するそうです。同様の三つ鳥居は奈良県桜井市にある日本最古の神社の一つと言われている「大神(おおみわ)神社」にもあります。

CENTER:写真3 <strong>三つ鳥居 </strong>

 有形文化財と呼ばれる撫(な)で牛の石像があります。体の悪い所と同じ部分を撫でると病気が治ると伝えられています。
 この他にも次のような登録有形文化財があります。
 石造り神牛、石造り狛犬(享保14年銘 一対)、同(文政10年銘 一対)、力石群、烏亭焉馬「いそかすは」の狂歌碑、石造り鳥居、社殿、神輿蔵、墨堤の石造り永代常夜灯(写真4)等です。
 昭和7年の遷座の際、永代常夜灯だけは移されず、現在の桜橋際に設置されています。常夜灯の礎石部には「本所総鎮守」の銘が彫刻されています。明治四年(1871)牛嶋神社の氏子より奉納され、墨堤の牛嶋神社入口に設置されました。常夜灯の火は附近の貴重な明かりにも利用され、設置以来、墨堤を代表する風物詩の一つとして、多くの画家の絵にもランドマークとして描かれてきました。(教育委員会説明版より)

CENTER:写真4 <strong>墨堤の石造り永代常夜灯</strong>


 牛嶋神社の5年に一度の大祭は、今回コロナ禍のため一年延期し、今年の9月に行われるそうです。大祭は、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子50余町内を2日かけて巡行し安泰祈願を行います。鳳輦は、本所2丁目の若宮公園内にある御旅所に1泊します。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄の和牛が神牛となり鳳輦を曳きます。返礼の町神輿の宮入れは50基が連なる都内最大の連合渡御になります。
 昭和32年(1957)には鎮座千百年祭を執行、氏子50余町牛嶋講の守護神として崇敬尊信をあつめています。
 牛嶋神社境内には、撫牛を含め牛が5頭居ます。参拝の折に是非探してみて下さい。

〈注〉
注1 須佐之男命は天照大神の弟神
注2 天之穂日命は天照大神の第五神
注3 貞辰親王命は清和天皇第七皇子
注4 慈覚大師円仁(794-864)、「慈覚大師」は円仁の諡号(しごう、死後贈られる尊称)。最澄が開いた天台宗の中興の礎を確立、仁寿四年(854)三世座主。目黒不動龍泉寺(東京目黒)・立石寺(山形市)・瑞巌寺(宮城県松島町)・如意輪寺(墨田区吾嬬橋)等を開山、 待乳山聖天(台東区)・浅草寺(台東区)・中尊寺(岩手県平泉町)・大慈寺(栃木県岩舟町)等の中興の祖。関東・東北に500を超える社寺の開山・再興に尽力。貞観八年(866)円仁は没二年後に「慈覚大師」の諡号を、宗祖最澄は「伝教大師」の諡号を、2人同時に日本で初めて清和天皇より贈られた。



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