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21.区内中央に大河が流れていた

今回は、墨田区のほぼ中央に大河・利根川が南北に流れていたというお話です。 「図1」は墨田区以西の鎌倉時代の推測地図です。墨田区史前史より抜粋しました。墨田区・台東区・文京区にあたる地域が描かれています。

墨田区以西の鎌倉時代の推測地図です''

 「図1」によれば、鎌倉時代には現在の墨田区内の主な陸地は南葛飾郡寺島(現在の東向島北部)と牛島(向島以南)及びその東側に「洲」(旧請地・押上あたり)があっただけで、残りは江東区も含めて全て東京湾の海であったと推測されています。その寺島と牛島の間に関東地方最大の大河・利根川が東京湾に流入している(図中の〇印の位置) 様子が記されています。以前は島であった寺島は既に陸続きになっています。牛島は大きな島ですが、現在では牛島の地名はなく「牛島神社」にその名前が残っているのみです。
 この頃、現在の隅田川にあたる流路はありますが、当時の本流は利根川であったと考えられます。では、利根川であった場所は、区内のどこにあたるのでしょうか? 
 区内を歩き回っても、墨田区の地図を見てもその痕跡らしきものは見つかりません。
 そこで河川であったと特定できそうな名称が記載された古い地図を調べて見ました。その結果、東京府南葛飾郡全図(明治38年)・墨田の地図(区立緑図書館編)・復元江戸情報地図(朝日新聞発行)等いくつかの地図から川であった裏付けになりそうな名称が見つかりました。
 「図2」は明治43(1910)年の「日本帝国陸地測量部発行地図・向島」から寺島村南部(東向島南部)を抜粋しました。

明治43(1910)年の「日本帝国陸地測量部発行地図・向島」から寺島村南部(東向島南部)を抜粋''

 この地図に他の地図に記されていた名称を書き込んでみました。
・図右上から対角線状に江戸時代初期に開削された「曳舟川」が流れています。 ・中央の鉄道は明治35(1902)年に開通した東武鉄道です。中央の曳舟川と交差する近くに「曳舟駅」があります。
・曳舟川に「鶴土手橋」が架かっています。イトーヨーカ堂角の交差点位置です。 ・この橋を渡る道は「鶴土手道」(図2の〇囲み)と言っていました。現在の地蔵坂通りから曳舟たから通りです。
・その下流には「地蔵橋」が架かっています。現在の高木神社入口交差点の位置です。
・この橋を渡る道は「吾嬬森道」と言います。北十間川の福神橋際にある吾嬬神社参道に十間橋で繋がっています。現在の鳩の街通りを南下、新あずま通りまでの道です。
・この道のすぐ南隣に「古川」(図2の〇囲)が流れていました。今は埋め立てられて細い道になっています。この道は墨田区が成立する前の本所区と向島区との区境でした。
・鶴土手道と古川の間には寺島村「字中堰(なかぜき)」「字新田」「字深瀬入(ふかせいる)」の地名がありました。

以上のことから「図2」の中の名称と、鎌倉時代の「図1」は次の様な推測ができます。
・鶴土手道は南葛飾郡寺島村に設けられた利根川の堤ではないか。
・「字中堰」はこの辺りに利根川からの流水量を調整する堰があったのではないか。
・「字新田」の地域は上流から流れてきた土砂の堆積で出来た河川敷が、その後に開墾され新しい水田になったのではないか。
・「字深瀬入」は川の流れが深い所(浅い流れを浅瀬と言う)であったのでしょう。
・河川敷が徐々に広がると共に利根川の流れは逆に狭(せば)まります。最後の流れが細い古川ではないのか。
 このことを裏付ける一つとして地域の氏神様に違いがあります。同じ寺島村でも鶴土手道の北側の地域の氏神様は「白鬚神社」で、南側の古川までは「高木神社」です。
 白鬚神社の創建は古く、平安時代初期の天暦5(951)年と伝えられており、この頃から寺島村は既に存在していたと考えられます。一方、高木神社の創建は500年後の室町時代中期で応仁2(1468)年と伝えられています。寺島村に出来た新たな地域の氏神様として崇められました。

 これらのことから「地図1」に記されている「旧利根川は鶴土手道と古川の間」に存在していたと推定できます。
 「図3」は明治末期の地図「図2」に相当するエリアの現在の墨田区地図(すみだガイドマップ抜粋)です。ここに推定される旧利根川の位置を赤の太線で記してみました。

明治末期の地図2に相当するエリアの現在の墨田区地図(すみだガイドマップ抜粋)です。ここに推定される旧利根川の位置を赤の太線で記した)''

 旧鶴土手橋(○印)から旧地蔵橋(○印)隣の古川までの川幅は450mあります。現在の四ツ木橋付近の荒川と綾瀬川を合わせた川幅とほぼ同じ位の大河です。隅田川の川幅は桜橋付近で150m程ですから利根川の大きさが想像できることと思います。
 この様に、昔からの名称が地名や橋・道路等に残っていると郷土の歴史を紐解(ひもど)く上で大きな足掛かりや裏付けになります。古くからの名称は出来る限り大切に残したいものです。

続く