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22.水戸街道(1)

 墨田区内にある一級国道は国道6号と14号の2本です。それぞれ「水戸街道」「京葉道路」の名前で親しまれています。古くからの名称が残る「水戸街道」ですが、関東大震災(1923年)後の復興までは墨田の地に水戸街道はありませんした。今回は水戸街道の変遷を紹介します。
 国道6号は起点が中央区の日本橋で、水戸市・いわき市を経由して宮城県仙台市が終点の一級国道です。この国道六号のうち、「水戸街道」の名称は、言問橋東詰交差点(墨田区向島1丁目)を起点として水戸市までの間を言います。
 旧水戸街道は古く、日光街道の千住宿(足立区千住)を起点とした、江戸時代に定められた5街道(東海道・中山道・日光街道・奥州街道)に準ずる脇街道でした。
現在も、北千住の街中を通る旧日光街道北端には江戸時代から続く「千住の名倉」で有名な名倉医院があります。その手前の交差点(千住5−24)が旧水戸街道の起点だったのです。現在は、その地点に石造りの「道標(写真1)」が設置されています。


旧水戸街道の起点道標「東へ旧水戸佐倉道・北へ旧日光道中」''

 水戸方面へは、ここで北上する日光街道と別れて東に向かいます。次に示す図1は国土地理院の地図から抜粋しました。ここに旧水戸街道を太い点線で、旧日光街道を細い点線で示しました。
 旧水戸街道は北千住を出ると最初の橋が綾瀬川に架かる「水戸橋」です。現在、大正時代に開削された荒川により、道は分断されて繋がっていません。余談ですが旧東海道では、日本橋を出て京(京都)に向かう最初の橋の名前が「京橋」であることから、何れも目的地(終点)の名称を橋に命名したのではないでしょうか。


国土地理院の地図から抜粋した。水戸街道を太い点線で、日光街道を細い点線で示した。''

 旧水戸街道は水戸橋を渡り亀有村(葛飾区亀有)を経て中川(渡し)を渡ると、最初の宿場が「新宿(にいじゅく)」(葛飾区新宿)です。この先の金町手前で現在の水戸街道(国道6号)と合流します。亀有村では曳舟川と交差しています。そのため江戸市中から水戸方面に向かう旅人は千住宿を経由するコースではなく、浅草から大川橋(現在の吾妻橋)を渡り小梅(向島1丁目)から曳舟川の土手道を北上する通称「裏(水戸)街道(四ツ木街道とも)」を通り亀有までのコースが近道で利用者が多かったようです。
 また、江戸時代末期には四ツ木〜亀有間を「曳舟」が運行しており、コース途中での「曳舟の遊覧」も楽しみで大変人気があり賑っていたと記録されています。
大正12(1923)年9月1日に発生した関東大震災の復興事業で、政府が計画していた 国道放射6号線工事に併せて言問橋の架橋工事が着工されました。
次の図2は大日本帝国陸地測量部が大正15(1926)年発行の地図から本所区北部を抜粋しました。国道6号が3つ目通りの延長工事として秋葉神社裏(向島4・5丁目)まで完了し記されています。将来の水戸街道になる国道6号が、墨田区に初めて記された地図です。


大正15(1926)年に発行した地図から本所区北部を抜粋した。国道6号が3つ目通りの延長工事として秋葉神社裏(向島四・5丁目))記されています''

 この後、昭和3(1928)年に言問橋が完成し、国道6号は起点の日本橋と繋がりました。また言問橋が出来たためにそれまで隅田川の三囲神社前から竹屋(台東区浅草7)間を運行していた「竹屋の渡し」が廃止されました。昭和6(1931)年3月には都電30番線が「須田町」(千代田区神田)から秋葉神社裏の「向島須崎町」停留所まで開通しました。

続く